弁政連ニュース

〈座談会〉

今こそ、国会において死刑制度に
関する根本的な議論を!(5/6)

「懇話会」結論における『基本的な認識

【伊井】「懇話会」報告書は、その冒頭の『基本的な認識』の中で、誤判・冤罪の可能性を「取り返しのつかない人権侵害」として謳った上で、『刑種としての「死刑」そのものが根源的な問題を孕んでいるばかりでなく、現行の日本の死刑制度とその現在の運用の在り方は、放置することの許されない数多くの問題を伴っており、現状のままに存続させてはならない。』と指摘しています。

死刑判決の誤判・冤罪は論外としても、皆さんは、「放置することの許されない数多くの問題」として、何が特に問題だと思われますか。

【神津】私は、生まれながらの殺人鬼がこの世に存在しているとは思いません。人間誰しもが生まれ育った環境にその人格形成を大きく左右されます。そしてその環境がいかなるものに恵まれるのかあるいは不運に沈んでしまうのかは、めぐり合わせ以外の何物でもありません。

「人が人を殺す」という不幸な事態をなくしていこうとするならば、貧困・格差の問題を解決することなしにはそれは不可能であることをまず認識すべきと考えます。国家が、人々を路頭に迷わすようなことはしないという明確なメッセージ性をもつセーフティーネットを制度として構築すべきです。

多くの殺人犯は、貧困・格差をはじめとした家庭環境に、動機の因子が潜んでいるものと考えられます。国家がその背景にある問題に有効な手を打つこともできず、その矛盾を抱えた末の受刑者の命を奪うということが許されていいはずがありません。

【金髙】現在の死刑確定者約100名の平均収容期間は15年超で、30年を超す人もいると聞きますが、その理由は本人にも示されないとのことです。また、執行日時が事前に知らされず、処遇も、特別の許可がないと面会は親族か再審関係の弁護士に限られるなど、運用の改善が必要な面があると思います。

しかし、死刑制度が抱える最大の問題は誤判の可能性であり、制度を維持する限り、その排除のための手段を最大限に尽くさねばなりません。裁判には常に誤判の可能性があることを理由に、制度としての死刑をなくしてしまうのではなく、冤罪の可能性が微塵でもある事件は無罪にすべきです。死刑判決は、事件性も犯人性も悪性も証拠上疑いの余地のない事件に限るべきであり、そのための客観証拠を収集する捜査能力を高めるべきではないかと思います。

【笹倉】懇話会の報告書のこの部分はとても重要だと考えています。懇話会のメンバーの中でも様々な考え方がありましたが、少なくとも現在の日本の死刑制度に数多くの問題があることに、全員一致で同意したということは、大きな意味があります。

死刑制度の問題点はたくさんありますが、個人的には、死刑が言い渡される可能性のある事件について、現在の手続のあり方で絶対に誤りがない判断ができるといえるのかについて、重大な懸念があります。アメリカでは、1970年代以降、連邦最高裁判所が個別事件において、死刑事件についてどのような手続が採用されれば、適正手続上問題ないといえるか、判断を積み重ねてきました。先述したとおり、「死刑は特殊な刑罰であるから、特別の手続保障が必要である」という考え方が背景にあります。このような考え方のもと、州ごとに、さらに死刑事件の手続を適正化するような動きも現れました。

その結果、アメリカでは、特に死刑事件の量刑手続で、ありとあらゆる減軽事情の調査と、減軽証拠の取調べを行うという実務が一般的です。また、事実認定審理と量刑審理を完全に分けたり、死刑事件の弁護体制を強化したり、陪審員の判断の全員一致制を必須としたり、必要的上訴を認めたりするなど、死刑事件においては、強化された手続保障があります。

もうひとつ、日本では死刑に関する社会的な議論ができない状況にあることも、問題であると考えています。その理由は、あまりに死刑に関する情報が公開されないことにあると思います。国の重要な制度について、市民が情報を得られず、十分な議論ができないことは、民主主義社会にとって致命的と言わざるを得ないでしょう。

【岡野】個人的には、死刑制度や運用・執行に関する不十分な情報公開があると思います。懇話会でお話を伺ったような様々な論点や視点といった内容が、社会で共有されることがなによりも重要かと思います。

加えて、拘置所における刑務官の方々の役割や姿も、開示される必要があると感じました。刑務官の方々へのメンタルケアなどの支援の拡充も重要なのではないでしょうか。

「懇話会」後の死刑制度に関する考え方の変化について

【伊井】懇話会でのヒアリングや議論を経て、皆さんの中で、「死刑制度の存廃」に関する考え方は、何か変化はあったでしょうか。今現在のお考えを、よろしければお教えください。

【金髙】懇話会での議論を通じて様々な勉強をさせてもらいましたが、結論としては、死刑制度が必要であるという考えが変わる事はありませんでした。しかし、運用上の問題は新たに認識したものも多かったですし、制度を維持するためには、何もしないのではなく、制度・運用の改善や、国際社会の中で説明責任を果たすことが必要であると感じました。

また、今はまだ立法事実はありませんが、将来的には、死刑制度の存置により、国外逃亡殺人被疑者の処罰に支障が生じる可能性があることも再認識しました。この問題は、死刑存廃の本質論ではありませんが、存廃を決定づける問題になりかねないと思います。

【笹倉】私はもともと、死刑は廃止するべきであるという考え方を持っていましたが、懇話会において網羅的に死刑をめぐる論点についての議論を行うことによって、ますますその考えは強固になったように思います。知れば知るほど、廃止の考え方に近づかざるを得ないのが、死刑という刑罰なのではないかと考えています。

【岡野】死刑制度のない社会を作ること望ましいとは思いました。ただ、日本社会として、その結論を得るには、制度の情報公開を含めて、国民に開かれた議論を重ねることを通じて、社会の理解を深めていかなければ難しく、そのような社会を作る不断の努力が必要だと感じました。

【神津】先ほども申し述べたように、私自身は、本懇話会に関わる以前は8割の「死刑もやむをえない」という意識しかなかったわけですが、この懇話会のなかでの様々なヒアリングとディスカッションを経るなかで、死刑制度は廃止すべきであるとの考え方を明確に持つに至っています。

しかし、いずれにしても、私たちが最も避けるべきことは、廃止派・存置派がおたがいにそっぽを向いたまま議論が進まないことであると考えます。

様々な場での議論が積み重ねられながら、政治のリーダーシップが発揮されることにより、看過されてはならない問題と様々な矛盾が解決に向かい、人々の幸せと世の中の進歩につながっていくことを切望します。



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