弁政連ニュース
〈座談会〉
今こそ、国会において死刑制度に
関する根本的な議論を!(4/6)
関する根本的な議論を!(4/6)
被害者・遺族の処罰感情と死刑制度の是非の関係
【伊井】死刑制度の是非の問題は、理論的には『国家の刑罰制度として、「死刑」いう刑罰の存在が許されるべきか否か』という制度論の問題だと思いますが、他方で、『重大犯罪の被害者やそのご遺族の視点や気持ちをどう考えるべきか』という問題も、同時に考えなければならない問題だと思います。
「懇話会」でも、様々な立場の被害者やそのご遺族のお話をお聞きしましたが、被害者・遺族のお気持ちやお考えは、皆さん同じではありませんでしたし、あくまで加害者に苛烈な処罰感情を持たれる被害者遺族も居られました。
皆さんは、懇話会の席で被害者・遺族のお話をお聞きになって、死刑制度の存廃の議論をする時に、被害者・遺族の感情や、その支援・救済の問題について、どのように考えるべきだと思われますか。
【岡野】犯罪被害者や遺族の方のお話は、理論を越えて、現実を理解する上での貴重な経験でした。ご協力を頂いた方々には、感謝に堪えません。
被害者やその遺族の方のお話を伺う機会を頂戴し、深く、かつ多様な思いに触れることができました。そこで、感じたことは、被害者や遺族の方々への多様な支援の仕組みを、様々な国の例を参考に、拡充していくことが重要だということでした。
【神津】犯罪被害者・遺族の方々からの率直なお話は、ある意味、衝撃で、打ちのめされたといっても過言ではなく、この回だけは言葉を発することすら全くできませんでした。
実は涙をこらえるのに必死でした。 話はさかのぼりますが、私が、1999年4月におきた光市母子殺害事件から受けた衝撃は大きく、被害者遺族の会見における死刑要求の叫びを今も忘れることはできません。彼とは事業所は異なり面識はないものの、当時同じ会社の社員であり、普段は母子を社宅に残して仕事にいそしみ休日は家族団らんの喜びにひたるという共通の境遇の経験者としての感情移入も相まって、当時、私は心から犯人の極刑を望んだものでした。
しかし、本懇話会において被害者遺族の方々の様々なお話を直接伺うなかで、その方々の思いは実に多様であり、そしてそれぞれに計り知れない深さのものであることを理解しました。その都度胸を大きく揺さぶられました。
そして、全ての方々に対して申し訳ないという気持が高まりました。精神面や、生活面をはじめとした様々な側面において、被害者遺族の方々に対するケアは全く不十分です。当事者の方々のご努力により少しずつ改善されてきたとはいえ、海外先進国の諸制度に比して、本質的に後れを取っていることは明らかであり、抜本的な対策を導入すべきです。
そして、あらためて死刑制度との関りを考えるならば、死刑制度の維持を、被害者の方々の感情のためとするのは、あまりにも一方的な決めつけと言わざるを得ませんし、ある意味での責任転嫁とさえ思わざるを得ません。
まるで仇討ちを国家が代行するかの錯覚を世に与えているのも、制度の本質議論がいかに置き去りにされているかを象徴するものと言えるのではないでしょうか。
【金髙】ヒアリングに来て頂いたご遺族の方々の心情は様々でした。相応の時が経過すれば、特にそうだろうと思います。しかし、愛する子や夫や妻が底知れない恐怖の中で惨殺され、ごみのように捨てられて、悲しみ、苦しまないご遺族はいないでしょう。私は、それは、人間が一番遭遇してはならない不幸だと思います。その意味で、被害者遺族であるI さんのお話が強く印象に残りました。
Iさんのお嬢様は、2007年、31歳の時に3人組の男に襲われて殺されたのですが、Iさんは、お嬢様が1歳9か月の時にご主人を亡くして以来、お一人で彼女を育てられ、娘の幸せが自分の幸せと思って生きてきたと仰いました。その大切な娘を、金目当てで、何の面識もない犯人達に、帰宅途中に突然車に引き込まれ、顔にガムテープを何重にも巻かれ、金槌で頭を30~40回も殴られて殺されました。Iさんが訴えた「遺族の唯一の望みである死刑判決まで取り上げるような日本にならないことを切に臨みます。」という言葉は、非常に重いものでした。
被害者遺族の悲しみや苦しみを「被害感情」、「処罰感情」として、犯人に対する感情だけ切り取って制度の根拠になり得るか議論するのは、聊か軽いと感じています。被害者、遺族を襲った地獄のような悲しみや絶望を事実として見据え、これをこの世からなくすために制度はどうあるべきかを論じるべきだと思います。
【笹倉】研究者は、本や論文で情報を調べることはできますが、なかなか当事者の生の声を聴く機会がありません。死刑のような問題を議論するためには「現実に何が起こっているのか」を知る必要があります。しかし、そのような機会は、残念ながらなかなかないのです。
犯罪被害者やご遺族のお話を聞いて、犯罪事件が、そして死刑制度が、実際にどのような影響を一人ひとりの方々にもたらしているのかということを、身をもって実感いたしました。改めて、「被害者」「遺族」とひとくくりにしてこの問題を語ることは許されないと強く感じました。
被害者やご遺族でも、その思いは様々ですし、ニーズも多様です。私たちは今まで、そのことを本当に心して考えてこられたのだろうかという思いになりました。「被害者やご遺族はこう考えているに違いない」と第三者が軽々に議論すべきではないとも感じました。死刑を望まない被害者もいるのであれば、まずは死刑を言い渡すという手段以外のニーズにこたえられているのかを、社会として考えるべきではないかと思います。
他方で、この問題において本来は見過ごしてはならない、死刑確定者やそのご家族の実際の声を聴くことができなかったことは残念でした。

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