弁政連ニュース

〈座談会〉

今こそ再審法の改正を!(3/6)

具体的な事件にみる再審法の不備

【秀嶋】村山さん、袴田再審請求事件の裁判長を担当して実感された法制度の不備について、あらためてお話しいただけますか。

【村山】私の前の原田保孝裁判長は、袴田事件についての証拠開示をかなり積極的に勧告して進めておられました。その後を受けて私が担当しましたので、私は非常に恵まれていたと思います。それでも、証拠開示をさらに求めた場合、その開示がなされるかどうかで検察官とやりとりをしなければいけなかったのです。

それから、期日指定に関する規定がないので、ある程度、双方の意向を伺いながら、いろんなことを考えながらやっていかなきゃいけない。通常審だと規定がありますので、もっとスムーズにいきます。

システムの問題として、検察官抗告の問題は深刻です。開始決定が確定するのに長期間を要してしまった最大の原因は、検察官抗告です。実際に、私より、もっともっと苦労されている裁判官はおられると思います。証拠開示の問題でも、検察官によってはなかなか「うん」と言ってくれないで困ったというケースも当然たくさんあるので、そういう問題が埋もれていると思っています。

【秀嶋】鴨志田さん、他の事件、例えば大崎事件は、どうでしょうか。

【鴨志田】大崎事件は、現在、第4次再審の特別抗告審が最高裁に係属しています。この事件では今までに3回再審開始方向の判断がされていますが、全て検察官が抗告し、上級審で覆され、特に第3次再審は、地裁と高裁が重ねた再審開始決定を、検察官の2度にわたる抗告によって、最終的に最高裁で取り消されるという経緯をたどっています。合計9人の裁判官が裁判を見直す必要があるかどうかを真剣に検討して、再審開始と判断されたのですから、最終的に有罪になるか、無罪になるかという問題は、再審公判という次の段階で審理すればよかったのです。抗告を重ねられたことで、最初の開始決定はからもう20年以上がたって、当時70代だった請求人の原口アヤ子さんは、もうすぐ97歳になります。

同じように日野町事件も、元被告人が亡くなられて、死後再審になってしまっているのですけれども、第2次再審で地裁と高裁が再審開始を認めたのに検察官が抗告を重ねたことで、現在最高裁に係属しています。

証拠開示に関して言えば、私は、かつて「再審格差」という言葉を作りました。大崎事件第2次再審のときの鹿児島地裁は、弁護団が再三にわたって証拠開示を求めたにもかかわらず、全く証拠開示勧告をしないまま再審請求を棄却しました。即時抗告審が福岡高裁宮崎支部に係属すると、先ほど村山さんから話の出た、静岡地裁で袴田事件の証拠開示を実現させた原田保孝裁判長が、福岡高裁宮崎支部に異動してきて、大崎事件の第2次即時抗告審を担当したんです。で、弁護団が原田裁判長に証拠開示を求めたら、書面で証拠開示勧告をしてくれました。そして、今まで検察官が「ない、ない」と言っていた証拠が、213点出てきたんです。同じ事件で、これだけ裁判官によって違いがあるということを体感したわけです。

既に再審無罪が確定している滋賀県の湖東記念病院事件では、再審請求の段階では証拠開示が実現せず、再審公判になって初めて、警察が検察に送っていなかった多数の証拠があったことが判明しました。再審無罪判決の後の「説諭」の中で、裁判長が「この再審公判になって初めて開示された証拠が多数ありました。このうちの一つでも適切に開示されていたら、本件は起訴されていなかったかもしれません」と言ったほどです。証拠開示のルールが存在しないが故に、担当した裁判官によって帰趨(きすう)が異なり、開示が遅れることで救済が遅れるということが、たくさんの事件で「証明されている」のです。

立法府に求められる対応

【秀嶋】このような具体的な事件の立法事実を踏まえ、立法府としてどのような対応が求められるかについて、あらためて柴山議員に伺いたいと思います。

【柴山】再審公判になれば、有罪の立証責任は検察官になるので、要は開示された証拠を基に、検察官があらためて新証拠を基にして有罪立証をしなければいけない。見過ごされた正義を、あらためて、例外的にではあれ、やはりきちんとチェックをする道が開けるわけなんですね。ところが、再審開始決定のところでそれを封じてしまうということになると、当然のことながら、どんどん手続きが長期化する。そして、時間が長引けば長引くほど、真実の発見は困難になってくるという側面もあるわけです。ですので、本当に素朴な正義感情からして、鴨志田さんから言われたような立法事実を踏まえた上で手続きを、法律をもって見直すということが、今こそ求められていると考えます。多分、検察も、裁判所も、メンツにかかわって、一度自分たちが一生懸命やったことを覆されるということに納得がいかないのかもしれないけれども、そこはしっかりと立法事実に立ち返って、客観的な正義のために何が必要なのかということを、ぜひ再検討してほしいと考えます。




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