弁政連ニュース

〈座談会〉

日本の死刑制度の今後を考える(1/5)

井田 良 氏

井田 良
法務省法制審議会会長・
中央大学法科大学院教授(刑法)

原田 正治 氏

原田 正治
弟を殺害された被害者
―犯人には死刑が執行された。

角替 清美 氏

角替 清美
袴田事件再審弁護人・
静岡県弁護士会

宮腰 直子 氏

宮腰 直子
司会
日弁連死刑廃止及び関連する刑罰制度
改革実現本部副本部長

【宮腰】皆さん、本日はお忙しい中、ありがとうございます。
日弁連は、2022年11月15日、「死刑制度の廃止に伴う代替刑の制度設計に関する提言」を公表しています。これは、死刑制度を廃止し、死刑が科されてきたような凶悪犯罪に対する死刑に代わる最高刑として、仮釈放の適用のない終身の拘禁刑の創設というものを提言するものです。他方、世論調査の結果によれば、約8割を超える国民が、死刑もやむを得ないと考えています。そこで、わが国の死刑制度の今後をどう考えるのかということでこの座談会を企画しました。

処罰感情と死刑制度

【宮腰】井田さんは、2022年1 月に単行本「死刑制度と刑罰理論」(岩波書店)を発刊されていますが、「どれほどたくさん人を殺しても死刑にならないのはおかしい」という意見について、どう思われますか。

【井田】死刑制度に賛成する立場の方々にとって、恐らく最も強い論拠になっているのは、今おっしゃったような考え方ではないかと思います。逆に言うと、死刑を廃止すべきだと考える人にとってみれば、そういう意見に対して、どういう説得的な反論がなし得るかということがやはり大事な試金石になるのではないか。そういう意味で、今の死刑存廃をめぐる論議にとって大変重要な問い掛けなのだろうと思います。もちろん大きな問題ですので、簡単にお答えできないのですが、今のところ私は次のように考えています。

まず、「どんなにたくさん人を殺しても死刑にならないのはおかしい」というご意見をお持ちの方には、いったん冷静になっていただき、次のことを考えていただきたいのです。

今の法律の下では、実は、どれほどたくさんの人を故意に殺したとしても、行為者に精神の障害があり責任能力がないとされれば、犯罪であることは否定されて、死刑ばかりか、いかなる刑も科すことはできないとされています。また、行為者が18歳未満であれば、少年法による特則があって死刑を科すことはできません。少年法だけでなく、日本も批准している「児童の権利に関する条約」がそのことを要求しているところですので、国際法の求めるところだということにもなってきます。

こうした今の法律の在り方は、もし処罰感情が刑罰の根拠なのだと考えるとすると、どうも説明できないことになりはしないか。何でそこでブレーキがかかるのかわからない。現に責任能力制度に対しては、メディアでは、裁判所で心神喪失・耗弱という判断が出たときに、しばしば理解できないという批判、あるいはそういう意見というのがかなり広く表明されることがあるわけです。

ただ、現行法を前提とする限り、刑罰を科すのは、実は被害者のためではないのではないかという疑問が出てきても不思議はない。少なくとも現行法は、そういう立場を取ってはいないのではないかという、こういう疑問が出てくるのだろうと私は思うわけです。

また、ちょっと視点を変えて、「どれほどたくさん人を殺しても死刑にならないのはおかしい」というのが死刑を支える非常に強い根拠になるのだとすれば、なぜ世界の多くの文明国家は―代表的にはヨーロッパの国々ですけれども―死刑を廃止しているのでしょうか。ドイツは、ナチスが600万人のユダヤ人を殺害したということがありましたが、その直後に死刑を廃止しています。「どれほどたくさん人を殺しても死刑にならないのはおかしい」というのが死刑制度の根拠になるのだとすれば、それは説明できないことなのではないかということです。

直截な言い方をするとすれば、実は刑罰というのは被害者のために科すものではなくて、ましてや処罰感情のために科すものでもない、それ故に正当化されるものではないという考え方が出てくるのではないか。そこで一歩引いて、刑罰制度って果たして何のためにあるのかということに遡って考えてみてはどうかというのが、私の提案です。



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