弁政連ニュース

〈座談会〉

被災地の声を国会に
~弁護士による政策提言~

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【小口】私は震災前から宮古ひまわり基金法律事務所の所長をしていました。その中で、一番やるせない事件の一つが、親の借金を相続した方の破産です。相続放棄という手続を知らずに背負ってしまった。それを長年返してきたこれども、もう返せないといって破産の申し立ての相談に来る。そういう事件が1年もひまわりの所長をやっていると何件もあります。その思いがもともとありましたので、東日本大震災で多くの方が亡くなった時には比較的早い段階からこの問題は浮かんでいました。

私が声を上げたのは4月11日でした。災害弁護士メーリングリストに「相続放棄の熟慮期間という問題がある」と投稿しました。相続が起きたことを知ってから三ヶ月以内に裁判所で手続をしないと相続放棄が認められないというのが当時の規定です。

当時被災地にいた私からすると6月11日までに書類を揃えて裁判所に行け、という話自体がナンセンスで、避難所で書類を集めて裁判所へ出向くイメージが全く湧きませんでした。この熟慮期間は絶対に伸ばすべきと思いました。実は、当初この提言はあまり広まらなかったんです。弁護士が加入しているメーリングリストだからこそ「いや小口くん、これは解釈の問題で3 ヶ月を超えても何とかできる術もあるから」というお話をいただきました。4月に活動は広がりませんでしたが、実際にうちの事務所に相談が寄せられるようになってきました。5月11日にもう一度災害弁護士メーリングリストに投げてみると共に、これまでの活動で接点のあった記者に向けて、一斉に「こういう問題があるんだ」と情報発信しました。5月20日の時点で少しずつ報道され始め22日には岩手日報で大きく報道されました。岩手弁護士会は震災直後から岩手弁護士会ニュースといって被災者の方にQ&A形式でまとまったものをお配りするという活動をしていました。この頃、第3号として相続放棄の点をやろうということになりました。残念ながらこの時点でも目に見える法改正の動きはありませんでしたので、仕方がないけれど被災者の皆さんに6月11日までに裁判所に行ってもらうしかない、少なくとも期間を延ばすのをやるしか無いと考え、裏面が相続放棄の期間の伸長を求めるチェック式の申立書になっている岩手弁護士会ニュースを刷って、弁護士で手分けして避難所を回って手配りしました。他にも市町村の広報に自ら執筆した原稿を持ち込むなど、色々動いた結果、日弁連をはじめ各所でも動きが盛んになりました。当時、同じ岩手弁護士会の会員でもあった民主党の階議員と岩手弁護士会の間で繋がりができ、現地の状況のヒヤリングなどの動きがありました。もう一つは6月3日にある市町村から条例改正について「なにかいい方法はないのか?」という問い合わせを受けました。声が広がっていると実感しました。ただ当時法務省は難色を示し続けていました。大きく小口報道されても、隅には必ず法務省の見解が掲載されていて「これはそう簡単には伸ばせない。期間を伸ばすことは権利義務の確定が遅れることになるから伸ばせないんだ」という消極的なコメントも出ていました。実は当時戸籍謄本が全然入手できませんでした。相続放棄の期間を延ばすためには戸籍謄本を裁判所に提出しなければいけなかったのですが、まず大槌町では6月11日まで戸籍謄本は取れませんと告知がされていました。陸前高田市も3月24日以降に届け出があった時は戸籍謄本が取れないと告知していました。私は自治体のHPを調べまして、福島県でも楢葉町では戸籍謄本が取れないと出てきました。南三陸町も戸籍謄本は6月1日から取れるようになったばかりです。それなのに法律は6月11日で締め切るというのを強行しようとしていました。その頃、ようやく国会の方でも議員立法の審議が始まっていたのを覚えています。結局、6月11日のリミットは過ぎてしまったんですけれど遡及させるということで、6月15日に委員会で可決され、17日に全会一致で可決され相続放棄の熟慮期間は11月30日まで伸びることになりました。

【亀山】その当時私も、やはり6月初めくらいに大槌町の方とお話をしていると「戸籍謄本なんか取れないよ」というお話でしたので、6月11日までに相続放棄の手続きをするなんてとても無理だなというのは現地にいて実感していました。結局6月11日までに延びなかった時は「ダメなのかな」と思ったのですが、遡及して延ばしてましたので法律ってなんでも出来るんだなぁと思いました。立法事実があって声になって繋がれば法律で何とか変えられるんだなというところは思いました。

【杉岡】弁護士にとって、通常の法律相談でご家族の方が亡くなってしばらく経ってから遺族の方が相談に来て、3 ヶ月経過直前で相続放棄の手続のためにバタバタすることはよく経験していることだと思うんですよ。通常でもバタバタするのに被災者がやれるはずがないというのは市民の相談を受ける誰でも思うはずなんです。私が一番覚えているのはこの問題に関して院内集会で階先生が「法務省は何も分かっていない!」とおっしゃっていて、霞ヶ関にいていろいろ調べたり資料を集めたり期限内に提出できる方々と、市民やその相談を受けている弁護士の認識にはものすごく差があるんだなというのを感じました。それをどうやって中央に伝えていくのがポイントなのかなと、この例を見ても強く思います。

【岡本】そうですね。政策担当者へ「なぜそれが大変なのか」という点を説明するのは私も頭を悩ませました。どうやって説得したかというと、皆さんの声をデータベース化を進めていたので、一覧表にして「これです!」と見せつけるしかありませんでした。声が立法事実になるというのは、この法令の時に一番感じたことなんです。

【小口】当時は相続の相談も増えていましたよね、5月から一気に。

【岡本】これは事後的な分析なんですけど、4月の相談件数は3月の倍あって、5月は4月の1.5倍あって、6月はさらにその2倍くらいあったというデータが出ていいます。要するに日弁連側としてもこの図を見せれば法務省も説得できるんじゃないかと思っていたんですけど、おっしゃるようになかなか閣法は難しいとなった。

【杉岡】法律相談票を見ていると「3ヶ月3ヶ月と聞くんですけど『3ヶ月』ってなんですか」という相談があったりするんですよ。役所に行くという発想はあるんでしょうけど、裁判所に行くという発想は多分ないですよね。「裁判所ってどこだっけ」という状況で、避難所生活の中でわざわざ書類を集め、やり方を聞いて出しに行くというのは無理ですよね。その辺りの感覚をいかに中央の方に伝えていくのかという難しさは、これに限らず感じますね。


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