弁政連ニュース
クローズアップ〈座談会〉
法科大学院出身の新進法曹
大いに語る(1/4)
~多様なバックグランドを生かして~
司会 | 鈴木善和 幹事長 |
柳楽久司 本紙編集長 | |
企画担当 | 酒井圭(日弁連法科大学院センター幹事) |

日吉由美 会員(新61期)
東京弁護士会所属
上智大学
法科大学院修了

谷井智 会員(新61期)
広島弁護士会所属
広島修道大学
法科大学院修了

大磯義一郎 会員(新61期)
第一東京弁護士会所属
早稲田大学
法科大学院修了

宮内博史 会員(新62期)
東京弁護士会所属
一橋大学
法科大学院修了
はじめに
【鈴木幹事長】本日は大変お忙しい中お集まりいただきましてありがとうございます。まずは出席者の皆さんの自己紹介をしていただければと思います。初めに、私、弁政連幹事長で、本日司会進行をさせていただきます鈴木善和でございます。東京弁護士会39期です。よろしくお願いいたします。
【柳楽編集長】弁政連ニュース編集長を拝命しております、二弁の柳楽と申します。よろしくお願いいたします。
【大磯氏】大磯義一郎と申します。新61期になります。現在、第一東京弁護士会に所属し、加治・木村法律事務所で弁護士業務を行う傍ら、帝京大学医学部で医療法学の講義をさせていただいております。よろしくお願いいたします。
【谷井氏】新61期、広島弁護士会の谷井でございます。大学までは広島でずっと育ちました。東京で銀行に就職しまして、丁度ロースクールができたということで銀行を辞め、地元に戻り、そのまま地元で弁護士をやっています。よろしくお願いします。
【日吉氏】新61期の東京弁護士会、日吉由美子です。昭和54年にテレビ朝日に入り、アナウンサー、報道局の記者を経て、最後十数年はスポーツ局で、国際渉外という仕事をやっていました。その後、ロースクールに入って、現在はテレビ朝日と一般の法律事務所勤務、両方をやっております。
【宮内氏】私は平成18年に大学を卒業し、一橋大学法科大学院の既修者コースに入学しました。大学時代は、法学部に所属し、国際法サークルで国際法模擬裁判に取り組むなどしていました。現在は、東京弁護士会の公設事務所で勤務しています。
法曹の道を志したきっかけ

【鈴木幹事長】ありがとうございます。お伺いしますと、大磯さん、谷井さん、日吉さんは大学の学部時代法学部ではない。社会人経験を積まれながらということで、普通に考えるとそれで十分社会人として立派に活躍できるポジションにいらっしゃったわけですが、弁護士あるいは法曹の門を叩こうと思ったきっかけについてお話しいただけますでしょうか。
【大磯氏】私が大学を卒業したのは1999年です。その年は広尾病院事件や横浜市立病院のベット取り違え事件などがあった年でして、ちょうど私が研修医を始めた時期からメディアによる医療過誤報道が頻繁になされるようになり、その結果、現場で日に日に医師と患者の関係が壊れていく現状を体感しました。これはよくないと思っていたところ、たまたまロースクール制度ができたということを知り、その当時私は28歳で、法律の勉強もしたことがございませんので、やるのであるならばこの年がラストチャンスかなと思い、早稲田大学大学院法務研究科に入らせていただきました。
【鈴木幹事長】谷井さんはいかがでしょうか。
【谷井氏】私は地元の大学の経済学部を出たのですが、経済学部を出たら普通は銀行に入るものかなということで何となく銀行に入ったのですが、銀行業務をやっている中で、上司と一緒に企業再生とか、破綻企業の処理をやっている中で、弁護士の方ともよく話をする機会がありました。銀行の中にいると、債権者という立場からどうやって企業を立ち直らせるか、最終的にはお金を貸すか貸さないかというドライな話の中でやっていく中で、もう少し小回りの効く、より当事者に近い立場で企業再生ができないかなと思っていたところに、たまたまロースクールができたというのを新聞記事で読んで、自分も丁度節目になる30歳になる頃だし、次のことも考えてみようということで、無謀にもロースクールの門を叩いて、地元ロースクールの入試を受けてロースクールに入りました。
【鈴木幹事長】日吉さんは如何でしょうか。
【日吉氏】私はテレビ局での最後の仕事がスポーツ局で、海外へ行って、海外のスポーツイベントの独占放映権を買ってくるというような、ちょっと特殊な仕事でした。そのとき欧米に行って交渉しますと、テーブルの向こうに座っているかなりの割合の方が弁護士さんだったのです。日本はそうではなく普通の社員の方が行ってやっている。いずれは日本もそういう時代がくるのかな、日本でも法曹資格を持ってもう少しプロフェッショナルな仕事ができるようになったらいいなということで、むしろその時やっていた仕事を、よりプロの立場でできるようになったらいいなと考えたのが、法曹を目指した直接的な動機です。ただ、その当時旧試験だったので、実際は無理だなと思っていたら、風の便りにロースクールなるものができるらしいと聞いて、まさしく皆さんも無謀だとおっしゃっているのですが、無謀中の無謀でとにかく、後先考えずに飛び込んだのです。
【鈴木幹事長】どうもありがとうございます。大磯さん、谷井さん、日吉さんは、ロースクール制度ができて第1期生で未修コースで入られたということですよね。私も調べてみたのですが、一番初めのロースクール志願者数は、72,800人だったんですね。しかし、平成22年になると、残念なことに今24,000人くらいしかいらっしゃらない、23年はさらに下がっていますが、お三方はまさに輝かしい第1期生でいらっしゃって、懐かしい思いがする感じがします。宮内さんは大学の法学部を出られてからロースクールに入られたということですが、法曹を志した動機はどういったものだったのでしょうか。
【宮内氏】最初は、人のためになりたい、社会の役に立つ仕事がしたいという思いから始まりました。とりわけ私の場合は中学までアメリカで育ったこともあり、独立戦争や南北戦争、公民権運動などといった歴史を学んでいく中で、虐げられた人々が権利や尊厳を求めて戦っていく姿に熱いものを感じたのだろうと思います。そのような経緯で中学時代から弁護士になりたいと思っていたのですが、当然のごとく、それはあまりにも漠然としたものでした。しかし、幸運にも、大学時代に公設事務所でアルバイトをする経験をいただき、そこで難民や外国人の事件に熱心に取り組んでおられた弁護士と知り合い、日本における難民や外国人の劣悪な状況を知るようになってからは、私自身も将来は、弁護士になって難民や外国人の方々のために頑張りたいと思うようになりました。そうしたことから、大学時代は、司法試験の勉強に励む傍ら、国際法サークルで国際法の勉強をしたり、難民事件の裁判傍聴をしたりしていました。

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